2016年6月15日【 ecec on sns

同調圧力に負けるな

 自分の子がよその子と違っていたら気になるのが親心です。子どもの個性を伸ばしてあげたい、自分らしく育って欲しいと願いつつも、個性的過ぎるのもどうかと感じてしまう部分もあるのではないでしょうか。私たちの中にはどうしてもみんなと一緒であることで安心する部分があります。それは日本の国民性と言ってもいいかもしれません。そして、良くも悪くもそれを支えてきたのは私たちが受けてきた日本の教育です。個性を伸ばす教育というよりみんなが平均点をとるための教育です。その中で私たちは意識的にも無意識的にも一緒じゃなきゃいけないという考えに偏りがちです。そういう風潮があるからこそ、アンチテーゼとして『世界に一つだけの花』という曲がヒットしたり『みんな違ってみんないい』という言葉が共感を呼んでいるのではないでしょうか。少しずつ人々の意識が変わってきているのかもしれません。
 ではさくらしんまち保育園の子ども達に目を移してみましょう。ざっくりと見ればあまり大差ない様にみえても、一人ひとりを見てみると見事に個性的です。みんな素直で可愛いのですが、どんな子も一段一段、発達の課題をクリアしながら大きくなっていきます。ちゃんと課題があるという意味ではどの子もみんな問題を持った問題児と言えるかもしれません。全く問題がない子は全く成長しない子ということになります。特別な配慮が必要な子もいますが程度の差こそあれ配慮が必要ない子はいないのです。
 私たちは『一人ひとりを大切にする保育』を目指しています。集団で遊ぶ際もその集団としての課題をねらいとして活動を計画します。もし集団に入れない子がいれば、その子が何につまづいているのか、その子が楽しめる様にするにはどうすればいいかと考えて工夫します。個別に声がけをしたり、その子にあった動機付けを試みたりします。時間的な猶予を設けたり、同年齢や異年齢と集団の属性や大きさを変えることも有効な手段です。その子のペースで、その子が上手くできるパターンで少しずつ進めていければいいと思っています。少なくともみんなと一緒じゃなきゃいけないとは考えません。みんなと一緒に楽しめることは理想かもしれませんが、それよりもその子が自分の距離感で心地よく集団と交われることの方が大切だと思います。帰属意識も大切ですし、組織や社会に貢献する気持ちも尊いものです。しかしこれから子ども達が生きていく社会は盲目的に集団に従う時代ではないと感じています。
 『私は私、でも私はみんなの中の私。』これは伊藤理事長が私たち職員に贈ってくれた言葉です。

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